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時空を超える「与える心」
この話は上田情報ビジネス専門学校、副校長の比田井和孝さんの書籍で知った話です。
1890年(明治23年)
オスマン帝国(現在のトルコ共和国)の船、エルトゥールル号が、台風に寄る強風に煽られ
紀伊大島の樫野崎の岩礁に激突し沈没するという事故がありました。
エルトゥールル号というのはトルコの軍艦ですが、日本と戦争をするために来たのではないのです。
友好的な外交の役割で日本に訪れ、横浜港に数カ月停泊した後、帰国する途中でした。
エルトゥールル号がトルコに帰るときに台風が来ていたので日本政府は出航をやめるように言ったのです。
しかし、事情があってエルトゥールル号はどうしてもトルコに帰らなければならなくて無理に出航したのです。
そして案の定、台風に遭ってしまい、紀伊半島の先の紀伊大島という小島の岩礁がおおく出ている岬の樫野埼に挫傷し、沈没してしまいました。
乗組員のほとんどが海に放り出されて、587名の方が死亡もしくは行方不明になっています。
けれど、中には一命を取りとめた乗組員もいて、命からがら、灯台のある崖を登りました。
40メートルもの崖を必死になって登って、灯台守に助けを求めたのです。
灯台守はビックリして村人たちを呼びに行きました。
紀伊大島は小さな島で50軒ほどしかないのです。
それでも島民全員が外国人を助けに行きました。
海岸に降りてみると船の派遣とおびただしい数の遺体です。
中には、わずかに息をしている人もいましたが、体が冷え切っていたのです。
島民たちは急いで自分の服を脱いで、その人達を抱きしめ、自らの体温で温めてあげたそうです。
そして、まだ命のあった69人の人たちを小学校やお寺に収容して看病をしました。
食料も衣服も与えたそうです。
しかし、大島村というのは漁村で台風が来ている時期は食料があまりなかったのです。
明治ですから貧しい時代ですよね。
50軒の村に69人もの人がいきなり増えたのです。
食料はすぐに底をつきました。
どうしようかと困り果てているところへ
「あの鶏を食べさせるしか無い」という声が上がりました。
大島村では、この村に何かがあった時のために非常食用として鶏を飼っていたのです。
村の人達が大切に育ててきた最後の砦とも言える食料です。
そんなにも大事な鶏でしたが大島村の人たちは
「人の命には代えられない」と乗組員の人たちに全部食べさせてあげました。
自分たちの持っているすべてを与えたのです。
さらに翌日には、和歌山県知事を通じて明治天皇にこの連絡が入りました。
明治天皇は本当に悲しんで、すぐに日本政府をあげて救助に向かいました。
救助に向かってもほとんどの人は亡くなっています。
それでも、多くの遺体を何日もかけて引き上げてきて、丁重に埋葬してあげたそうです。
さらに、日本政府は生き残った69人の乗組員たちを数カ月後に
「金剛」と「比叡」という2つの軍艦でトルコまで送り届けてあげたそうです。
当時の日本という国はこういう国だったのですね。
暮らしは貧しいがみんな「思いやりの心」を持っていて困った人があれば助けてあげる。
それが当たり前の国だったのです。
時は過ぎて95年後の1985年のことです。
イランイラク戦争が起こりました。
当時のイラク大統領であるサダム・フセインがとんでもないことを言い出しました。
「今から48時間後にイラン上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落とす」と声明を出したのです。
民間機・軍用機を問わず打ち落すと言ったのです。
イランには、外国からたくさんの人達が仕事やいろいろな事情できていたのです。
この宣言が出てから世界各国は驚いて一刻も早く国民を助けなければとイランに飛行機を飛ばして自国の国民を連れて帰りました。
この時日本人も215人がイランに残っていました。
しかし、日本政府は飛行機を飛ばすことが出来ませんでした。
危険な地域ですから軍用機を飛ばせばいいのですが憲法9条があり当時は自衛隊は海外に行けなかったのです。
そこで、日本政府はある民間航空会社にお願いをしました。
飛行機を飛ばして日本人を助けて欲しいと。
ところが、その会社からは反対の声が出るのです。
「自衛隊も飛べないような危険なところになんで民間人を行かせるんだ。」と。
もめにもめているうちにタイムリミットは迫ってきます。
他の国の人たちはみんな自国の飛行機が迎えに来てどんどんとイランから飛び立っていくのに日本人だけが取り残されているのです。
日本人はパニックになりました。
「もしこのまま日本が助けに来てくれなかったら、この後戦争はどうなるかわからない。ひどいことになり自分たちは殺されるかもしれない」
単身赴任で来ている人もたくさんいました。
しかし、48時間のタイムリミットが迫った1時間15分前にテヘラン空港に2機の飛行機が降り立ちました。
そして、日本人全員を飛行機に乗せて飛び立ったのです。
「ああ、これで生きて日本に帰ることが出来る」とみんな大喜びでした。
この飛行機は日本の飛行機ではなかったのです。
トルキッシュエアライン、トルコ航空の飛行機だったのです。トルコの民間機だったのです。
なぜトルコの飛行機が日本人をたすけてくれたのでしょうか。
元駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカンさんはこう言ったそうです。
「95年前のエルトゥールル号の事故に際し、大島の人たちや日本人がしてくださった献身的な救助活動を
今もトルコの人たちは忘れていません。
トルコでは子どもたちでさえ、エルトゥールル号のことを知っています。
それを知らないのは日本人だけです。」
実はこの時、日本政府はどうにもならなくなってトルコに飛行機を出してくれと頼んだのです。
その時にトルコ政府は二つ返事でOKしたそうです。
しかし、民間機ですから航空会社に連絡がはいるわけです。
パイロットたちを集めて、日本人を助けに行ってくれる人を探さなければなりません。
「これから日本人を助けにいくために飛行機を出さなければならない。すごく危険なところだが誰か行ってくれないか」と言ったときに何人ものパイロットが手を挙げたそうです。
「日本人を助けに行くなら喜んで私が行きます」と何人ものパイロットが手を挙げてくれたそうです。
日本人は日本人を助けることが出来ませんでした。
危険だからという理由で飛行機を出すことが出来なかったのです。
しかし、トルコの人たちはその飛行機を二つ返事で出してくれたのです。
トルコの人たちは自分たちの先祖が受けた恩を忘れていなかったのです。
エルトゥールル号の救助に関わった人たちはこのトルコの飛行機が飛んだ95年後には生きていません。
しかし、大島村の子どもたちは自分たちの祖先がすごかったんだと思っているでしょう。
自分たちの誇りですね。
そして自分たちもそんな生き方をしようと思っているのではないでしょうか。
現在でも日本とトルコは共催で大島において慰霊祭を行っているそうです。
日本人もトルコ人もすばらしい心を持っているのですね。
人間というのは本来このようにすばらしい「与える心」を持っているのですね。
私はこの話を聞いて涙が止まりませんでした。
この話が載っている本は、
「私が一番受けたいココロの授業 講演編」 ごま書房新社
です。
他にもステキな話がいっぱいありますので是非お読みください。
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そうですね。
感動しました
読みながら涙がこぼれてきました。
「与える心」は自分も他人も幸せにしますね。そしてそれは時空を超えて受け継がれていく・・・・
教訓に致します。
日本人の心
コメントありがとうございます
仰る通り日本人の中にもまだまだ昔の心を持った人が多くいると思います。
今の日本の環境がそれを出させないようにしているのかもしれませんね。
本来の心は日本人全員が持っているのかもしれません。
このブログが少しでもみんなの役に立つことができればいいなと思っています。
私も泣きました。
私も涙が止まらなくなりました。
その話を聞いて
相田みつをさんの書が思い浮かびました。
「うばえ合えば足りぬ、わけ合えばあまる」
与える
ありがとうございます。
こうしてみなさんにコメントをいただけることを嬉しく思います。
私も与えられているんだなぁと感じます。
感謝します。
すばらしいですね
感謝です
涙
私もこの話を聞いたときは自然と涙があふれてきました。
「困った人には手をさしのべる」・「受けた恩は忘れない」
こうした当たり前のことができる日本人でいきましょう!(^-^)
ありがとうございます。
コメントありがとうございます。
当たり前のことを当たり前にする。
簡単そうに思えてなかなかできないのかもしれませんね。
でも、出来る限り実行していきたいと思います。
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今、日本はとんでもない犯罪が多発するありさまです。 でも昔の日本人の心を持った人もまだまだたくさん居ると信じています。 早く本来の「日本人の心」が戻って来ますように。。。